下村






明治の初め、生糸の売買で巨財を得た下村善太郎
は、県庁誘致に尽力し、私財を投じ前橋市発展の
基礎を築いた功労者にして初代前橋市長。前橋市
指定史跡。

下村善太郎


下村善太郎は文政10年(1827)現前橋市本町
の商家下村重右衛門の子として生まれた。勤倹力
行、刻苦の末、横浜開港にともない生糸貿易で巨
万の財を得、その動きは横浜の生糸相場を左右し
たと言われている。
 鋭い洞察力と先見性により自治、教育、産業、
社会福祉等多方面にわたり卓見を示し、「子孫に美
田を残さず、郷里のために」と一貫した思想で群
馬県庁の誘致を初めとして桃井小学校の前身十八
郷学校及び師範学校・医学校の各を開設、日本鉄
道の前橋延長、利根橋架橋、臨江閣の建設等都市
基盤づくりに有志と奔走、率先して私財を投じ今
日の前橋の基礎を築いた。明治25年市制施行にあ
たり推されて初代前橋市長に就任したが在任一年
余りで惜しくも翌26年(1893)67歳の生涯を閉
じた。市は数々の業績を顕彰して名誉市民第一号
の称号を追贈した。

下村善太郎






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