岡崎城主だった松平清康公は徳川家康公の祖父。ある時、「是」の字を左手に握った夢を見た清康公は、竜渓院住職の模外惟俊大和尚にその意味を尋ねると、「この字は日下人に分けられ、これを握るということは、戦国の分裂の世が統一される吉兆。君公により実現しなくとも、孫の代までに実現する」との答えでした。
喜んだ清康公は、享禄三(1530)年、岡崎城下に模外禅師を開山とする満珠山是字寺龍海院を建立。徳川氏には既に大樹寺という菩提寺があったため、家老の酒井正親公に外護を命じ、以降は酒井氏の菩提寺になりました。
徳川家康公の江戸入城に伴って、酒井正親公の子重忠公は武州川越藩主に任命。菩提寺の龍海院も川越に移り、さらに慶長六(1601)年の前橋転封によって龍海院も前橋に移転しました。
以降、寛延二(1749)年の酒井氏姫路転封に際しても前橋に留まり、現在に至っています。 |